映画ブログでおナス。

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フィルマークス始めたので映画の話しません。

無職日記 #FINAL

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マッシュルーム


しれっと就職し、ヘラヘラと過ごして満4ヶ月になろうとするのにこの日記を完結させていなかったわけであるが、忘れていたわけではなくずっと心の隅にあり、折に触れて意識に浮上しては胸を苦しめてきたのでケリをつけようと思う。ファイナルだからバチボコ気合いいれて総括を!みたいなことは苦手なので内容はこれまでと変わらずなんとなく考えたことを書く。

先日上司とランチに行ったらわたしの「漬け&ネギトロ丼」が先に出てきてしまったので上司の「マグロてんこ丼」の到着を甲斐甲斐しく待っていたら「待ってないで先食べな!どうせ高野さんがいちばん食べるの遅いんだから!」となんの皮肉も含みもなくあっけらかんと言われて、なんだか許されたような不思議な気分になった。この時ひとつ思い出したことがある。

また別の日、おそらく約2年ぶりに友人とおしゃべりをするために喫茶店に入った。そこでピザトーストを頼んだところマッシュルームが乗っかっていた。私はキノコが嫌いだ。食べなかったら爪を剥がすぞとか豚の糞を食わすぞとか言われたらもちろん食べられるのだが、菌類がポンと具現化したようなあの人たちが存在として無理すぎる。もう少し菌類であることを恥じてほしい。納豆でさえ、現象(菌そのものとしてではなくネバネバという菌類がそこにあるから生じる現象)として菌性を主張してくる程度なのに、お前らはもう菌そのものですやん。少し控えめにできませんかね。と常々思っている。

お行儀が悪いことは重々承知なのだが、相手はもう私がキノコの類の生き様を許容できないことをよく知っている10年来の友で、別に取引先のかたというわけでもないし…という甘えもあり、もうどうしてもマッシュルームを食べる気がなくなって皿に避けていた。(もちろんその問題とは別にマッシュルーム農家の方、マッシュルーム卸業者の方、マッシュルームの在庫管理をしてる方、調理してくださった店員さんなどなどには本当に申し訳ないのだが)

それで、友人のスマホで漫才の台本を1〜2分間程度感想を述べつつ読み、読み終わったので友人にスマホを返し、ピザトーストの続きをしようと皿に目を落としたら様子がおかしいことに気づいた。少し考えて気付いた。皿にマッシュルームがない……

私がマッシュルームを嫌悪するあまり無意識のうちに床へ叩きつけた可能性も考えたがもしそうだとしたらのんきにお茶をしている場合ではない。キノコの神隠しを確信した私はこれからこの奇跡の証人となる友人に控えめに「ねぇ…マッシュルームないんだけど…」と伝えると友人から一言当然のような声音で「食べたよ」と返ってきた。持ち主の手元の皿に乗っているキノコを気づかれないほどめちゃくちゃ自然に、しかも自分が書いたネタを真剣に読んでる人の皿から食ってるのが面白すぎて笑った。と同時にイタリアとか行ったらスリに遭いそうだから気をつけなければいけないと思った。

と、またここでもわたしは勝手に何かから許されてしまっていた。

ちなみに母親からは嫌いな食べ物を食べろと強制されたことは一度たりともない。キノコの栄養なんか他の食材でとればいいし、他の嫌いな食べ物に関してもいつか大人になれば食べれるものも増えるだろうという方針だった。結果から言うと母親の言う通り、茄子やら海老やらアスパラやらこんにゃくやら銀杏やら自然と食べれるようになった食材は結構ある。

このように甘やかされて育ったにも関わらず、「出されたご飯を全部食べれないのは悪」という価値観がわたしの中に浸潤しており、すぐお腹いっぱいになって残したり、食べれない食べ物がある自分がストレスだったんだなあと気づいた。

「人は自分の弱みを理解してくれてる(と思わせてくれる)人に心を許すもんだ」と某胡散臭ワインフリフリメンタリストが言っていたような気がする。そう冷徹に斬られてしまうと少しかなしいのだが、とはいえ人ってそういうもんだろという開き直りもある。

全ての物事について「それに自覚的であるか」が「自分大丈夫かチェックリスト」の先頭にある。つまり、自分の意思や気持ちや思考や、とにかく内面的なもの全部を自分自身でコントロールしたいけれども、コントロールしきれない部分はたくさんあって、それについてはせめて向き合って管理しておこうという姿勢で生きているということである。というわけで、自分ルールにおいては自覚的である限り多少開き直っても問題ないわけなので、堂々と「わたしの弱点をフラットに受け止めて気にもしないでいてくれる人たちは好きだ」と思います。

ただ、「どういったときに友情、というか双方向性を持つ人間関係のあり方として、こういう些細な言動から滲む理解って重要だと感じました、長年友人でいてくれている諸氏ありがとう」という話をしたかっただけなのだけど、どうしても狂ったように内面の自己弁護をしてしまうのいい加減にしたいね。

 

苦行のはじまり↓

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