映画ブログでおナス。

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フィルマークス始めたので映画の話しません。

ちょうど隙間のところ

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とある友人の話をしたところ、話し相手に「なんだその話」と言われたので"なんだその話"って言われるような話はどこかに残しておいたほうがいいなあと思ったので何百日かぶりにブログを書いている。

冒頭に"友人"と書いたものの、我々の関係に"友だち性"を感じたことがなく、声に出してみると違和感がある。それは我々の関係性というよりもその人の異質性によるものだと思う。あまりに人と一緒にいるのが似合わない人だった。

それはいくつか前の記事で書いた古い喫茶店のバイトで会った人で、読書家だった。いつだったかの「家、ついて行ってイイですか」で、竹林まみれの廃屋に住まう老人が取材されていたのを見たのが彼を思い出したきっかけだ。

その廃屋には今にも崩れ落ちそうな本棚があり、その本棚にぎっしりと本が詰まっていたことについてディレクターに質問された老人が「コンプレックスなんだよ」とシンプルにコメントしていたのを見た。"インテリ"に対する憎しみと、羨望が混じった顔が印象的だった。それと同じで、まさに彼は学歴コンプレックスを拗らせていた。

「学歴コンプレックス」

これ以上に滑稽な言葉があるだろうか。しょうもない。かくいう私も学歴についてのコンプレックスがないわけではない。コンプレックスとは発作のような形でキッカケがあればバーンと立ち現れてくるものだが、勉強以外のいろいろを達成していくうちにその発作が顔を出すことも徐々になくなっていった。みんなそんなもんだろう。

2014年の4月、大学なんかどこでもよかったくせになんとなく希望していた大学に落ちるとショックでひと月ほど飯をほぼ口にせず、ニコ動で違法アップロードされた「ボボボーボ・ボーボボ」視聴とクソゲーと名高い「I WANNA」シリーズのどれかを悪友とプレイする等して過ごしていた。今からすれば何もそんな苦行をしなくても…と言ってやりたくなる廃人スタイルである。しかし、無意識のうちにとっていたとにかく無意味なコンテンツに囲まれるという手法は自分にはあっていたらしく、入学する頃にはニュートラルな精神状態になっていた。浪人すればよかったんだけど複数の理由から浪人はしなかった。まどマギで「他人のために重要な選択をしたらめちゃくちゃ後悔する」って学習したのにね。あたしってほんとバカ。

話はそれたが、当時27歳の彼は大学を中退しており、大学というものに非常に強いコンプレックスを感じていたそうだ。私の勝手な見解によれば頭の回転速度がそこそこ人並み以上でかつ世界に対する解像度が高いのに、「頭がいい」と社会に判断してもらうために必要な記憶力などの能力が圧倒的に欠けていたので捻じくれてしまったのだ。最初はマジで意味が分からなくて「いやじゃあ頑張って勉強して大学入りなおせや」と思っていたが、英語学習について話を聞いてみたところ努力不足とかそういう問題ではないということがよくわかった。勉強ができなくても、あんまり解像度が高くなければ楽しく生きていけるのに。

とにかくそのコンプレックスを埋めるため本を読んでいたとのこと。「でもね、こんなもん意味ないですよ」と寂し気に独り言ちるその姿はなぜかかっこよくなかった。

岩波文庫を切り刻んで小分けにしたものを持ち歩き、読み終わったページは捨てていたので変わった人だなと思った。この間、三田線の電車で同じことをしている中年男性を見つけた。どこかの文化圏でそういうお作法があるのだろうか?

仲良くなったきっかけはすっかり忘れてしまったのだが、ネチネチと人の悪いところをいつまでも言っている陰険さがあるという共通点があったということは覚えている。ずっと下を向いているし、猫背、声も小さくて、字が汚く、歩き方も変だったのでバイト先が一緒でなかったら仲良くならなかったと思う。しかしながら運よく友人になれた私が彼からきいたエピソードトークや言動はおもしろかったので以下に記す。

  • 幼稚園から高校まで同一人物に虐められていた(かわいそうだが、高校くらい他の高校に行けたのではと思って爆笑してしまった。今思えば、きっといろいろな奇跡が起きてこうなってしまったのだろう)
  • 中学生の時、義務教育に絶望(いじめられてるし、勉強はできないし…)し、中島義道の塾に行くが英語ができなさ過ぎてやる気がないと思われ即破門
  • 実家がゴミ屋敷
  • 上記のため実家は出たいが労働も極力したくないため格安賃貸を探した結果、対策をしないと普通に南京虫の出る部屋に居住していた(具体的な対策について教えてくれたが参考にならな過ぎて忘れてしまった)
  • バイト先の人のツイッターアカウントを特定し、ネトストをしている
  • バイト先にボードゲームブームが到来した時期に私が徹夜のボードゲーム大会に誘ったのが彼にとって「人生で初めて友達と遊ぶ」経験だった
  • 声が小さいという理由で変な中華料理屋をクビになった
  • 自称:人生で一度も自慰をしたことがない(念のための注記だが、私が問いただしたわけではなく他の男性店員に質問されていた。立派なセクハラだが、とんねるずダウンタウンが好きな中年男性に言っても仕方ない(と諦めてはいけない))
  • うつ病でバイトを飛んで地元大阪に帰省した人について「ま、たこ焼きパワーで元気になって戻ってくるんじゃないですか?」と邪悪な持論を展開
  • 趣味は包丁研ぎ
  • そして、急にバイトを辞めて東南アジアに行ってしまった

他にもいろいろあった気がする。徹夜で飲み明かしたこともあるほど仲良く、勤務中も帰り道もめちゃくちゃ会話していたのに就活が近づくにつれ、私の停滞性がなくなり共感的な会話ができなくなってしまったことをたまに悔やむことがある。

「ホームレスになりたい」とよく言っていたので「ホームレス界隈にも社会や序列があって結構厳しいらしいっすよ」とどこソースかもわからないような答えを返していた。きっと彼は路上生活者になったとしてもその社会の中でやっていけないと勝手に思っていたから何度でも繰り返した。最後に会ったのはおそらく2年ほど前なのだが、いまだに路上生活者の方が目に入るたびに彼なのではないかと確認してしまうようになった。悲しい習慣である。

タイトルに戻るが、彼はちょうど隙間のところにいる人なんじゃないかと思う。地頭はよかったのになぜか勉強だけは圧倒的にできない、普通にコミュニケーションが取れる人なのに機会がない、環境とか生まれ持った特徴によって不良にも真面目にもなれず、カテゴリーとカテゴリーの隙間で宙ぶらりんになってしまう。全部偶然だと思う。生きる気力がなくなってしまった人にはそれなりに理由があり、責められないということを身をもって実感した。

そして、社会の隙間でなにかに怒りながら絶望しながら生きているような人は見ていておもしろかった。

せっかく友達になったのに、結局なにも出来ず(なにかしてあげようという気もなくおもしろがるだけおもしろがって)、彼が喉から手が出るほど求めていた、まともな大学の哲学科を出てまともな企業に就職してしまった。相も変わらず私は「またなんかおもろそうな話聞けそうだからそのうち会いたいな」と軽薄であることを辞められない。