映画ブログでおナス。

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フィルマークス始めたので映画の話しません。

地下室での労働の話

つくづくこのブログを見返していると人への文句を長々と書き連ねているので笑えてくるのだが、こんな文句は身体はともかく精神が暇だから出てくるんだよな。今年は山里亮太の才能を丁寧に取り除いた後に悪いところを煮つめたような人間であるという自覚をもって精進していこうと決めたんだけどこれは普通に病むからすぐ忘れちゃうと思う。

いつかは書こうと思っていたアルバイト先の話をしようと思う。現実で私と話をよくする人は聞き飽きてるかもしれない。

2016年に薄暗い喫茶店に雇われて以来私はダラダラと多種多様な社会不適合者たちと過ごしてきた。普通に働いていただけなのに働き始めのころ「真面目」と評価されていた意味が今ではよくわかる。

バイトに対するモチベーションは「何かおもろい事が起きるかもしれない」これ一点突破だった。本当に月に一度くらい膝から崩れ落ちるほど笑える出来事が起きるのでそこは本当によかった。バイト先で起きたことをラジオにメール送って読まれたりと美味しい思いもした。

店長が不労所得生活マンなのでよっぽどのことがない限り店には1〜3時間ほどしかいないが、店がどうでもいいというわけでもないらしかった。アルバイトには珍しい人種を取り揃えて雇用創出という形でもって夢を応援するスタイルで、つまるところバーチャル自己実現を試みているのだと思う。彼と知り合って、持たざる者も苦労するが持つ者もまた別の視点で苦悩しているのだということを学んだ。バイトで一番多いのは俳優(のたまご)、次点で服飾の専門学生。その他にも地方局に冠ラジオ番組を持つミュージシャン、偽物のラッセンの絵を掴まされえげつない借金を抱えてしまった恋多きオタクなどもうめんどくさくなるほど多種多様な人がいた。

裏でどう言われていたかは分からないが、なんとなく私は労働が得意な人種なのでその中では重宝され大変居心地が良かった。居心地が良いんだから入社までいればよかったんだけど、最寄駅から家までの帰り道であまりにも警察に声をかけられる(「夜道を歩かずにタクシーを使えばいいじゃない」というマリーアントワネット理論をぶちかまされる)ため、何も悪いことをしてないのに警察から逃げ回る日々だったのが耐えられなくなった。タクシー乗れるご身分なら終電ブービーまで働いてるわけねえだろバーカ。

最終出勤日が近づくにつれて、開封済みのタバコや未開封(これから売れる予定の俳優のサイン付き)のタバコ、これはメルカリで高額で売れるようにとサインをお願いしたのだがしおんちゃんへと書かれてしまったのでその夢は叶わなそう、チョコレートおっきいの一箱、紅茶等々をいただき、やっぱり「何につけても終わりかけってサイコ〜〜」という気分になった。振り返るとタバコが多すぎる。そんな吸わねえから。

くだらない日々っちゃ日々だったのだが、キッチンで「天空落とし!!!!」と叫びながらふざけて湯切りされたパスタがスローモーションで空を飛んだ瞬間を未だにありありと思い出せるから私にとっては大事だったことを認めなくちゃならない。

正直大学入ってぜーんぜん哲学なんかできなかったしひとつも楽しく無かったけど、あそこでダラダラしてた2年半はふざけた大学生じゃなきゃ得られなかったものだし当時進学しないなんて選択肢は無かったとはいえ、進学してよかったなと思う。正直四年間の学費480万の価値はないけど。

バイト先最終日雨の中普段は店に来ない時間に店長が来てなんだかモジモジしながら「あのさ、最後だしご飯に行かない?」と言われたので「おーー!是非是非お願いします!」と二つ返事で答えたものの内心は飯が2時間だとしてどういう組み立てでトークを進めていくかを一生懸命考えるばっかりで憂鬱だった。

お給料が手渡しなので(!)最後のお給料日にご飯に行くことになり、古参の先輩男女スタッフと一緒に行くことになったのだが、意外に大盛り上がりしてしまい気づいたら新宿のライブバーで見知らぬおばさんに見出され、手を引かれて連行されたフロアで生演奏される70年代の洋楽に合わせてひたすら踊っていた。Queen最高。そんで1人になった瞬間帰りの電車で静かに泣いてしまった。ダサ……

We Are the Champions

We Are the Champions

  • クイーン
  • ロック
  • ¥255

改めて思わされるのは、終わりかけはなんでも美しいものになるということ。だからこそ、綺麗にその思い出を取っておかないとグダグダになっちゃうし何よりダサい。自分のためにも他人のためにもならないので、まだ自分の思い出がグジュグジュのうちに過去のコミュニティに首を突っ込むのはスマートじゃないんだよね。

よくOBOGが喫茶店に来ていて「なんなんだこいつら暇かよ」と思ったもんだけど、キッチンのおっさんはずっと変わらないし私と熱いお笑い談義を交わしてくれたお兄さんも多分ずっとあそこにいるので、また会いたくなっちゃうんだろうなというのは今になってわかる。でも若いバイトは入れ替わってるわけで、そこに私の居場所はないのだからめちゃくちゃ寂しくなるのが関の山だ。辛い時には行っちゃダメな場所で、なにかうまく行った時に自慢しに行く場所なんだよ〜〜ってことを自分が忘れないための覚書きでした。