映画ブログでおナス。

フィルマークス始めたので映画の話しません。

私はどんぐり人間。

「ねえ、聞いて〜こんな酷い目にあったんだけど…」と自分が傷ついた話をいとも容易く人に打ち明ける人がいるが、そのような人に出会うと素直に「この人明るい人だな」と思う。少なくとも私にとってこのような行為は死ぬほどハードルが高いので、大したことないエピソードをこの構文に当てはめて人様に発表することで「自分が傷ついたエピソードを人に話せないほどプライドが高く殻に閉じ籠った自分ではないですよ」アピールをしている。極めてダサいのは承知だ。

でも、私は少し歳をとって大人になれたらしくおそらく私の直近四年ほどを最もよく知っている人にこの事を話せるようになっていた!だから、嬉しくてブログを書いてみる。

本題に入るが、私は傷ついたのである。簡潔に言えば、友人からの誕生日プレゼントがあんまりにもひどかった。人から貰ったものにひどいもクソもあるか、ひどいのはお前だろと私も思う、思うんだが、人間そう建前ばかりじゃあないだろ。

具体的な話はこうだ。元バイト仲間で仲の良い3人で定期的に会っているが今回は半年ほど空いて当該会を開催しようということになった。

前提として、その会は10月に行われたが3人のうち2人は8月生まれで私は9月生まれだということがある。

そんなこんなで、私は8月生まれの友人2人と個別に連絡を取り合い、直接会って誕生日プレゼントをそれぞれ見繕った。

結果的に1人にはヘアフレグランスを、1人には高級なお絵描きセットを各友人と折半して(しれっと2人のプレゼントの金額が同じになるよう予算の調整などをしながら)用意した。

期待というか、いや、まあ、正直日取りから逆算すれば一番誕生日が近いのは私だし誕生日当日にはおめでとうのラインももらっていたので何かしらあるだろうと思っていた。

小さい人間と思われるかもしれない。しかし、ここまで書いておいてなんであるが私は「プレゼント代2人分の損失」や「単純に大したものが獲得できなかったこと」に対してぶつくさ言っているのではない。2人は、私のことを思いだしもしなかった、もしくは思いだしたとしてもなんらかの形で何かをする気が起きない程度の存在だったということが悲しく惨めだった。

2人はプレゼントを受け取り、一次会も終盤を迎え私がお手洗いから戻ってくると小さな小さな包みが置いてあった。開けるとこれが出てきた。

f:id:ultimate_stylish:20181022033915j:image

私の親指の爪ほどの大きさのどんぐりスタンプである。ちなみに私はリスじゃない。2人のうちの1人がお絵描きセットを買いに行ったときにわたしにも買ってきてくれたものである。お絵描きセットを購入した店に置いてあったのでわかる。もう1人は当然なにもない。一見なにもプレゼントを用意していない方が悪いようにも思えるが実は違う。

この会において、私へ誕生日プレゼントを渡すという発想があったにも関わらず「ついで感」の塊みたいな物を寄越してきたという事実がめちゃくちゃ惨めさを感じさせた。その時私は大袈裟に喜びながら「あ、この人にとって私はこの程度の存在なんだ」などと考えていた。ハイテンションで一晩過ごした私を褒めてやりたい。

本当に辛い出来事が起こるとすっぽり記憶が抜けてしまうものだが、案の定いつもの日課の一環で人に電話して思考の棚卸し作業をしている際にハッと思い出した。

電話でこのエピソードを話した人と母から「天然」「鈍臭い」というワードが出てきて、私も概ね納得している。まぁでもこのことを天然の一言で許されるのだとしたら、私も天然になりたい。23歳、天然志望である。ていうか、モースの贈与論によれば与えるのを拒んだり招待するのを拒んだりするのは戦いを宣するのと変わらないらしいぞ。ケンカ売られてんのかな。あ?

しかしながら、私が全くもって完璧でないのと同様に完璧な友達なんかいないのである。よく考えてみれば、人生最大の友人だと思っていた友人には人生最悪の裏切りを受けているし、また別の友人には酒癖が悪く八つ当たりされたあげく私があげた誕生日プレゼントを置いて帰られかけた(また誕生日絡みか)。

許すというか他人なので単純に諦めるということが真の友達への第一歩なのかもしれないな。だからなんだ。知るか!!

f:id:ultimate_stylish:20181022034058j:image(秋だなぁ)